【目次】
『後閑城址公園』galleryレポ
・入口から後閑城址公園『西第二郭』付近
・後閑城址公園『北郭』へ
・後閑城址公園『本丸』へ
『後閑城址公園』の情報
・後閑城
・百庚申
・後閑城の百庚申
・『後閑城跡公園』
おわりに
『後閑城址公園』galleryレポ
快晴と上毛新聞掲載日も重なり人も多く気持ちいいです。では出発です。
入口から後閑城址公園『西第二郭』付近
- 『後閑城址公園案内図』
- 『厠』
- 水仙が咲いていました。
- 段差は低く歩幅は広めでした。
- 『西第二郭』
- 西第二郭からは、近い位置で桜が見えました。
後閑城址公園の『西第二郭』はとても近い位置で(公園内で一番近い位置で)桜の花が撮れました。
- 白い桜
- ピンクの桜
西第二郭を後にして進みます。
後閑城址公園『北郭』へ
- 振り向き際の西第二郭
- 見降ろし際の西第二郭
- なんと浅間山が見えました。
- 真っすぐは『本丸』右は『西第一郭』
- 『西第一郭』
- 妙義山も望めます。
- 右手は『東郭』左手は『北郭』
- 『東郭』
- 『北第三掘切』北郭東屋の屋根が見えます。
- 左手に向かうと、なんと秋間梅林!
- 『北郭東屋』
- 北郭の東屋は『時雨亭』
- 『北郭』
- レンギョウ?の畑
- ユキヤナギの畑
- 元気いっぱい!
- 道祖神様かな。
- タンポポめっけ♪
花木畑も満喫でき『北郭』からの眺めも最高です。広場や東屋では、お弁当を広げてくつろぐ風景もみられました。
- 北郭からの眺め
- 桜も山々も見え、いい眺めです。
後閑城址公園『本丸』へ
- 『安中市指定史跡 後閑城址』
- 『百庚申』
- こちら側も庚申様
- そちら側も庚申様
- 東屋が見えます。
- 撮ってもらいました。
庚申様に囲まれていました!素敵です。大きな丸いライトも設置され、夜は桜のライトアップもされるようです。
- 庚申様が沢山
- 庚申様の向こうの景色も見事!
本丸の『東屋』へ
- 『本丸東屋』は石畳です。
- ここからは土足禁止
- 本丸の東屋は『花雲底』
- 本丸東屋からの眺めです。
- 掘のようです。
- ここから『東郭』へ
ここからも浅間山と日本三大奇のひとつ勝妙義山とが望め、何処から見ても絵になる風景です。立体になった案内図があり、後閑城址公園の様子がわかりました。
- 風流な眺めです。
- ここからも桜の向こうに妙義山です。
帰り道
- 浅間山が見えます。
- 「生きてる」感が満載です!
- 出発地点の厠に到着しました。
行き交う人と「こんにちは」の挨拶も気持ち良かったですし、「いい景色ですね」「いいお天気で良かったですね」など皆が和やかでした。
カメラマンも多く、ピントの合わせ方や画面での撮影方法も習いました。
「その撮り方にハマっちゃったの?」「はい」(笑)。とても楽しかったです。

『後閑城址公園』の情報
後閑城
西上州の要城。
依田忠政の本拠地として1447年に完成したとされる。
1567年、城を失った後閑信純(上条真純とも称したといわれる)を、武田信玄が後閑城に入城させ、城主として復帰した。
武田信玄亡き後、後閑信純の長男の後閑信重は分家し、次男の後閑重政と三男の後閑信久が上条家を継いだ。
後閑城は1590年の上条氏の滅亡とともに廃城となった。
但し、情報は定かではない部分も多いようだ(2018年調べ)。
百庚申
百庚申は庚申(こうしん)信仰の石造物の一つの形で、百の庚申を造り信仰のしるしとした。
また一つの石に百の庚申を刻んだ石碑もある。
庚申信仰は、庚申(かのえさる)の日に行われる行事で、奈良時代末期には宮廷中心に、江戸時代には全国に広まった。
「庚申様は働き者で、百姓の神」として信仰された。
後閑城の百庚申
旧後閑城の家臣と称する上原・安藤・中島氏が発起人となり、安中藩家臣や近隣の有志が募り、寛政9年から12年の3年余りをかけて、百二十八の庚申を造った。/安中市によって記載された後閑城址公園の『百庚申』看板より
『後閑城址公園』
後閑城を基に整えた公園
昭和44年6月30日、群馬県安中市の史跡として指定された。
入場料:無料
駐車場:無料(大型車不可)
トイレ:あり
場所:群馬県安中市中後閑
『後閑城址公園』への地図
おわりに
