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あんなか旬の花巡り 桜満開で見事な『後閑城址公園』gallery

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【目次】
『後閑城址公園』galleryレポ
・入口から後閑城址公園『西第二郭』付近
・後閑城址公園『北郭』へ
・後閑城址公園『本丸』へ
『後閑城址公園』の情報
・後閑城
・百庚申
・後閑城の百庚申
・『後閑城跡公園』
おわりに

『後閑城址公園』galleryレポ

快晴と上毛新聞掲載日も重なり人も多く気持ちいいです。では出発です。

入口から後閑城址公園『西第二郭』付近

後閑城址公園の『西第二郭』はとても近い位置で(公園内で一番近い位置で)桜の花が撮れました。

西第二郭を後にして進みます。

後閑城址公園『北郭』へ

花木畑も満喫でき『北郭』からの眺めも最高です。広場や東屋では、お弁当を広げてくつろぐ風景もみられました。

後閑城址公園『本丸』へ

庚申様に囲まれていました!素敵です。大きな丸いライトも設置され、夜は桜のライトアップもされるようです。

本丸の『東屋』へ

ここからも浅間山と日本三大奇のひとつ勝妙義山とが望め、何処から見ても絵になる風景です。立体になった案内図があり、後閑城址公園の様子がわかりました。

帰り道

行き交う人と「こんにちは」の挨拶も気持ち良かったですし、「いい景色ですね」「いいお天気で良かったですね」など皆が和やかでした。

カメラマンも多く、ピントの合わせ方や画面での撮影方法も習いました。
「その撮り方にハマっちゃったの?」「はい」(笑)。とても楽しかったです。

( ◠‿◠ ) ふぉっふぉっふぉっ
シニア隊員七福神さま


『後閑城址公園』の情報

後閑城

西上州の要城。
依田忠政の本拠地として1447年に完成したとされる。
1567年、城を失った後閑信純(上条真純とも称したといわれる)を、武田信玄が後閑城に入城させ、城主として復帰した。
武田信玄亡き後、後閑信純の長男の後閑信重は分家し、次男の後閑重政と三男の後閑信久が上条家を継いだ。
後閑城は1590年の上条氏の滅亡とともに廃城となった。
但し、情報は定かではない部分も多いようだ(2018年調べ)。

百庚申

百庚申は庚申(こうしん)信仰の石造物の一つの形で、百の庚申を造り信仰のしるしとした。
また一つの石に百の庚申を刻んだ石碑もある。
庚申信仰は、庚申(かのえさる)の日に行われる行事で、奈良時代末期には宮廷中心に、江戸時代には全国に広まった。
「庚申様は働き者で、百姓の神」として信仰された。

後閑城の百庚申

旧後閑城の家臣と称する上原・安藤・中島氏が発起人となり、安中藩家臣や近隣の有志が募り、寛政9年から12年の3年余りをかけて、百二十八の庚申を造った。/安中市によって記載された後閑城址公園の『百庚申』看板より

『後閑城址公園』

後閑城を基に整えた公園
昭和44年6月30日、群馬県安中市の史跡として指定された。
入場料:無料
駐車場:無料(大型車不可)
トイレ:あり
場所:群馬県安中市中後閑

『後閑城址公園』への地図

”群馬県安中市 後閑城址公園”

おわりに

セミシニア隊員1号
次回のための持ち物覚書:靴底の溝のある靴・水筒・一眼レフ
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群馬の見どころ散策隊セミシニア隊員1号

群馬県民歴50年。覚え始めの一眼レフを片手に、リハビリ登山をしながら、四季の景色も楽しんでいます。上級シューフィッター・シニア専門シューフィッター・幼児子どもシューフィッター・フスフレーガー・足育アドバイザー®・アシスタントシューカウンセラー

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