【目次】
簗瀬城趾『城山稲荷神社』のレポ
簗瀬城趾と城山稲荷神社の情報
簗瀬城趾『城山稲荷神社』に行ってみよう!
えっ?城でしたか!簗瀬城でしたか!気付きませんでしたっ。
このブログを書くにあたって調べていくうちに、この虎口からの土塁は非常に見事なまま残っていることがわかりました。
この右手は杉林で、堀跡とのことでした。
城山稲荷神社の境内は、簗瀬城の本丸にあたるようです。
この周辺も40年程前は、鬱蒼と草茫々な印象でしたが、近年宅地化が進み随分雰囲気が変わりました。
けれど、詳しい方々が見て「見事だ」と言うものは、できるだけ後世まで残してほしいと思ってしまいます。
拝殿が見えます。
60~70年程前、ここはとてもハイカラで、祭りなども大変賑わっていたそうです。
今はウォーキングコースの参拝場所にしていたり、ちょっとした憩いの場所として、親しまれているようです。
存在感たっぷりの狛犬もいました。
吽形(うんぎょう)に角は見られませんでした。
大きな灯篭もありました。
道祖神様は随分と埋まり、地形の変化を感じました。
少しジブリ映画の雰囲気があります。
落ち葉をはらってみたら『祖』の手前の土色が少し濃くなってしまいました。
『この辺り 眼に見ゆる物 皆すずし 芭蕉』こちらは貞享5年(1688年)に岐阜で詠まれた句のようです。
『粗玉の年を畏み大前に 拍手打ちてこころ静もる ͡古を語る力如く太き松 赤き鳥居に垂れかかれり』 昭和60年11月 小板橋・真下
この松にピッタリな歌だと思います。
古を語る声がお届けしやすいよう、手をかざしてみましたが、いかがでしょうか。

石橋及び職枠の寄付連名の碑には、金1円・金50銭といった金額が記され、帰宅後にお婆さんから「1円あれば何でも買えたよ」と聞きました。余談ですが、お爺さんは「お小遣いで5円貰った」と言ったので「金持ち~」と皆ではやしました(笑)。
他にも石橋などの補修工事につても、名前と金額がずらりずらりと記されていました。
森田七太郎顕彰の碑には山中象外書と記されていました。
簗瀬城址『城山稲荷神社』の情報
『簗瀬城』は建治元年(1275年)に安中氏の祖、二位(三位説あり)中納言が築城、安中氏の出張城と推定され、この位置が本丸にあたる。
周囲は住宅地となっている。
原市城・稲荷城などと呼ばれることもあるが、簗瀬城も含め、地名から後に名付けられたものと推測されている。
土塁と堀跡の残り方が良好だと評判を呼んでいる。
個人宅にあった『城山稲荷神社』を文化年間(1804~1818年)にこの場所へ移動し、文政6年(1823年)に拝殿を造営。
簗瀬城址『城山稲荷神社』への地図
おわりに
詳細不明という簗瀬城趾ですが、歴代の地域の人々によって維持され続けた、ひっそりと佇む城は


次回は堀跡の写真を撮りたいことと、桜の季節にも来てみたいと思いました。
ここから500m程離れたところの無人販売も好きスポットです。
