磯部公園には、詩人や歌人の15の詩碑があるといわれ、『磯部詩碑公園』と呼ばれています。
家に帰ってから調べなおしたところ、阿部真之輔の恐妻碑と水原秋桜子の碑以外はみつけられたのでは?と思えたのですが、いかがでしょうか?
室生犀星(1889~1962)
明治23年、金沢に生まれる。
高等小学校を中退後、金沢地方裁判所の給仕をしながら俳句・詩を作り、18歳の時「文章世界」に小品分「河辺の初春」が入選掲載される。
大正2年「ザンボア」に詩を発表、北原白秋に認められた。
代表作に詩集「愛の歌集」「抒情小曲集」小説「あにいもうと」「女の図」「杏っこ」等々がある。
川端順(1882~1966)
明治15年、東京下谷竹町に生まれる。
明治・大正・昭和の歌人。
明治30年、佐々木信綱の門に入り、浪漫的なやわらかな叙情をみせる。
特に旅の歌に、すぐれたものが多い。
「鷲」「国初聖低蹪歌」で第1回の芸術院賞をうける。
「川端順歌集」がある。
北原白秋(1885~1942)

華やかにさびしき秋や千町田のほなみがすゑを群雀立つ
明治18年、福岡県にうまれる。
明治・大正・昭和を代表する天才的詩人。
拓次・朔太郎・犀星・その他、多数の詩人を育てる。
明治42年、処女詩集「邪宗門」を出版、小曲集「思ひ出」、歌集「桐の花」を相次いで出す。
大正7年、児童芸術雑誌「赤い鳥」を舞台に、新しい児童運動をおこした。
湯浅半月(1858~1943)
安政5年、安中市に生まれる。明治・大正・昭和の詩人。
同志社大神学部卒。同志社大教授・牧師・京都府立図書館長等をつとめた。
詩集「十二の石塚」は創作個人詩集として、日本最古のものといわれる。
日本最初のヘブライ学者、また図書館学の樹立者でもある。
湯浅半月にふれているブログはこちら⇒『新島襄旧宅』
若山牧水(1885~1928)
明治18年、宮崎県東郷村に生まれる。
明治・昭和の歌人。
38年、尾上紫丹らと車前草社を起こし、「創作」を編集創刊。
その歌風は、感傷的・抒情性の濃いものであったが、後、しだいに自然歌人としての自己を確立していく。
「海の声」「秋風の歌」「山桜の歌」等、数多くの歌集がある。
岡田太京(1895~1971)

残菊やおのれ欺く 髪染めて
明治28年、安中に生まれる。
本名、郷次郎。
磯部で居酒屋を営む。
幼い頃から、句作を始め、紅燈の巷にあって、女性の相談相手をつとめるなどして、遊女の心の琴線に触れた作品が多い。
「鉛筆の尻で除雪夫かぞえらる」昭和44年朝日新聞俳句賞(全国大会第1位)受賞。
吉野秀雄(1902~1967)
明治35年、高崎の絹物問屋「吉野藤」に生まれる。
大正13年、病気のため慶大中退、歌人を志す。
会津八一に師事し、「天井凝視」「苔径集」等の歌集に、直情実直な作品を結晶させ、「寒蝉集」で歌壇に認められた。
読売文学賞受賞。
書や随筆でも一家をなす。

磯部詩碑公園の東屋
久保田万太郎(1889~1963)

温泉の 町の磧に尽くる 夜寒かな
明治22年、東京浅草に生まれる。
創作家・小説家・俳人。
俳号暮雨のちに傘雨。
慶大文科卒。
一貫して、東京下町の市井の人々を描き、その世界は広くないが特色のある文体で、独特の詩的な情趣を描きだしている。
小説「末枯」戯曲「大寺学校」など。
大手拓次(1887~1943)
明治20年、碓氷郡磯部に生まれる。
早大英文科卒。
詩誌「朱欒」に「藍色の蟇」「慰安」を発表し、その後、「ARS」「近代風景」など北原白秋の詩誌を中心に作品を発表する。
怪奇豊麗な幻夢と暗鬱な香気を漂わす詩風で、犀星・朔太郎とともに、白秋門下の三羽ガラスと言われた。
萩原博志(1919~1980)
1919年1月、碓氷郡東横野村大字鷺宮字文珠寺に生まれた。
国鉄在職中から小説をよくし、50余編の作品を残して1980年4月没した。
清水寥人(この時代の国鉄機関士からの小説家)のブログはこちら⇒『少林山』
松坂一(1920~1951)
1920年3月10日、横浜市綱島に生まれる。
日大芸術科に入学、作曲を池内友次郎に師事したが病気のため1年半で退学。
戦火激しく下仁田町に疎開。
戦後磯部町に移住。
第19回全国音楽コンクール管楽作曲部門で小組曲「幼き夢」が入賞。
1951年2月10日、群馬大学病院にて死亡、享年30才。
萩原朔太郎(1986~1942)
明治19年、前橋市に生まれる。
第六高等学校卒。
後、北原白秋門下生となり、雑誌「感情」を刊行する。
大正6年に出版した、
詩集「月に吠える」をはじめ「青猫」「純情小曲集」「氷島」などによって、日本近代詩上に新境地を開き、”近代詩の父”と呼ばれた。
神保光太郎(1905~)
山形市に生まれる。
京大文学部卒。詩人、日大教授。
山口薫(1907~1968)
明治40年、群馬県箕郷町に生まれる。
東京美術学校西洋画科卒。
フランス・イタリアなど各国を歴訪し、帰国後、昭和34年に自由美術協会を設立する。
また、モダンアート協会を結成、38年には、東京芸大教授となる。

磯部詩碑公園簗側の入り口
『磯部詩碑公園』への地図
園内の愛妻の池では鯉がゆったりと泳いでいました。